承平(じょうへい)五年(935年)二月、阪南市の海岸を一艘の船が通りすぎました。その船には、『土佐日記』の著者で有名な前土佐国司、紀貫之(きのつらゆき)が乗っていました。日記には、任務を終えて京都の家に帰りつくまでの記述の中に、当時の阪南市箱作の海の様子がうたわれています
たまくしげ はこのうらなみ たゝぬひは うみをかがみと たれかみざらん
( 箱の浦の波が穏やかな日は、海を鏡として使えるぐらいに、きれいである。)
貫之がおだやかな海とうたった箱作の海は、今では関西国際空港を望む箱作海水浴場として、府内外から多くの人々が訪れ、親しまれています。
関西国際空港連絡橋の夜景
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